昭和五十年十月六日         御理解八十四節「驕りがましい事をすな、ものは細うても永ごう続かないと繁昌ではないぞ、細い道でも次第に履み拡げて通るのは繁昌じゃ、道に草を生やすやうな事をすな」



履み拡げて通る、それが繁昌だと同時に細うても永う続かねばいけない、ですから何十年の信心が続いておりますと言うのではいけんのです、そんな人があります、何十年の信心を細々と続いておるなるほどそれでもおかげを頂くから、止めはきらんまあ結局信心が続いておると言う。それは初めの間は細々でしょうけれども、履み拡げてる間は細々でしょうけれども、履み広げてる間に段々大きな道に繋がって行かねば、そこで履み拡げて行かねば、私は此処のところを今日思うのに、教えを履み拡げて行かねばいけないと言う風に思います、教えを一つ一つ自分のものにものにしてゆかねばならないと思います、教えを履み拡げて行かねばいけない。        ────────────────────────────────
昨日は壮年部会でした、いつの壮年部会のときでも思うのですけれども、本当に時間が惜しい、十二時迄でしたけれども結局三十分のびましたでしょうか、一人一人本当に尊い体験、または信心を語られましたが中に、久富繁雄さんがこんな発表をなさっとりました、本当にここんところは何遍も何遍も通って分かっておるのですけれと゛、いざその時になりますといつも失敗しそうになったり、失敗したりする事もありますが相済まんと言う事ですと、ですから履み拡げるとはそう言う事だと思いますね、履み拡げると言うのですから、所謂教えを履み拡げる履み行う、そしてそれを自分のものにしてしまうと言う事は難しい事です。
御承知のようにここで経理の御用と私の御用を受け持って下さってある、先日からも丁度三十三日が霊祭、二十四日が久留米の記念式典、これには私が必ず出席しますから、いつも高橋さんと久富さんとがついて来られる、二十二日は福岡のお芝居のお供でした。
ですからもう本当に、まあ言うならばいくらおともと言うても、まあ楽をしに行くようなものだから、これはもう二十三、二十四日おかげ頂かんならんけん、止めようかと言う風に、まあおことわりしょうかと思っておったけれども、あっちこっちからいろんなお誘いもあったりして、おかげ頂いて三日間続いた、最近では久富さんとこでは毎日毎日、晩の十二時頃まで又は一時頃まで野菜の手取りがかかる相です。
今ほうれんそうが出ているのです、沢山それに今年は私の家と〇〇さんの家がほうれんそうを沢山作っておったそうですが、今年はもう最高の値段だそうですね、もうほうれんそう一把が八十円、九十円、百円するそうです、本当にビックリしました話しを聞いてからほうれん草一把がね百円もする、それが市場でそうなのです、ですからそれでも毎日毎日ださんならん、それを手取りあの取って来て、手取りをしたり荷造りをしたりして、その中から出荷するのですね、ところがこれはどうやらこうやら失敗せずに、おかげを頂きましたが、本当に神の用を氏子が足せば氏子の用は神が足してやると言うことは充分分かっておるのだけれども、いつもの時でも失敗しそうになったり、失敗すると言うこと、その後やっぱり出て来て貰わんならんことがあったりする。
電話が掛かって来ました、合楽会でしたか必ず出でおられました。電話が掛かって参りました、実はそのあの、あれどんが一生懸命やりよるから、てつだわにゃでけんのですからででこられんと、と言う電話が掛かって来た、で明くる日聞いて見るとです、丁度手伝い出来んなりに御飯たべたら、お腹がせきだしたからとうとう仕事ができなかった、もうそう言う事は何回も何回もくり返しておられる訳ですね、だから自分も分かっておる家族の者も分かってしもうとらなきゃならんのですけれども、やはり息子の顔を見たり、嫁の顔を見たりすると、てんやわんやしよるからやはり人間心が出るわけです。
例えばこの三日間うっとうしに御用であるために、などもです本当に思いも掛けないものがお手伝いにきとる、ね、頼みもしないのに手伝いにきとる、結局自分よりもさばけたとがおかげを頂いとる。
しかもその三日間だけは百二十円から百三十円した相です、これは初めてだったそうです 最高だったそうです、しかも大したこっちゃありますよね、小型トラック一台宛て出されるとに、一把が百三十円もするとじゃけん、それこそガバリガバリ入ってくるでしょう ですから本当に氏子の用はいや神の用を足せば、氏子の用は神が足してやると言うような信心がです、いうならば自分のものに身についとかねば駄目だと言う事です。身にそれがついてしまえば履み拡げて行く事ができる、それを時に人間心を出すと、その折角履み拡げた道に草を生やすような事になるのです、だからこれが本当に自分のものにならなければいけないと、こげんすればおかげになると言うようなものではなくて、そげんしなければ居られないと言う信心が生まれてくる、来なければいけないと言う事なんです。
久富さんの場合体験に体験を積んどられますから、もう本当に親先生の御用さして貰っとればおかげ頂く事はわかっとるけれども時々人情が出る。
おかげ頂く事は分かっている、けれどもそこんところはです、おかげ頂く頂かんじゃないもうそういないとおられんと言う、信心が出来た時にもうそれはもう血肉に自分の信心がなっとるのですから、それを履み行うたことになるのです、それはおかげはおかげを生んで行く、拡げて行くおかげになるのです、信心が本当に自分のものにならなければ駄目です、昨日もある方の話しがでたんですけれども本当にお道の信心が分からせて頂いたから、本当に改式はせなければおられないと言う事です。
例えば仏教徒が金光教徒に改式する、変わると言う事、信心がわかったらです、とても改式せねばおられません、昨日の朝の御理解じゃないですけどね、生きても死んでも天と地は我が住家と思えとね、言うような昨日あたりの御理解が解ったらね、その内容が自分のものになったら、それはもうしなければ、昨日その事について秋永先生がいっとられました、例えば改式をしてないぐずぐずいておる事はまだそれだけ金光大神を信じてない、しるしなのですから金光大神の教えと言うものを聞いておらんのと同じなんです。
せにゃおられんのです、だからすればおかげを頂くと言う事ではない、せにゃおられんと言うのが、今日の御理解に言うておられる履み行う事になるのです。
ね、信じてそれを履み行う事になるのです、ね履み拡げて行く事になるのです、改式したらおかげ頂くかも知れん、例えば親先生の御用をさせて頂けばおかげ頂く事は分かっておるばってんと言う、と言うのはわかっておる様でと言うがまあだ分かっていないのです、ですからその御用を頂かなければ、もうおられんと言う信心です、きのうは午後の奉仕の時に、まあ昨日はずーっとお礼のお届けばっかりでした、もう一時が四時まで、皆それぞれ遠隔地と言うかもう最近の初めて参ったと言う人が、何遍目と言う方ばかりでした、しかも親子連れとか夫婦連れとか近所連れだってと言うような事でした。
丁度この前に御霊祭の時に初めて参って来た方が、子供達が夫婦別れをすると言うてもう、どうにもこうにも手がつけられない様になっとった、それで別れさせると言う事の、とう言う風にして別れさせて良いかと言う事のあのお願いであった、けれどもわかれさせていかんと言う、お願いしておかげ頂けと言う事でしたが、昨日お礼に出て来たのが、もうそれこそ不思議な事で仲良うにならにゃならん事が起こってきた、おかげで元の鞘に納まって、おかげで円満になったと言うおとどけであった。
三十日間から夫婦で蒸発して居なくなった、それが段々これはもう夫婦で自殺しとる心中しとると言う事であった、と言うのが書き置きやら、子供達に言い置いている事が分かってきた、例えば子供達にお父さん達が旅行するけれども、おらん間はおばあちゃんやらおじいちゃんの言う事を聞いて、しっかり勉強しなければいけないよと、今までかって子供に勉強しなさいと言った事がなかつが、そげな事を言うて行った事が段々分かってきた訳です、だからもう自殺しとると言う事であった、それも一週間ばかり前でした。
それが昨日お礼に出て来ておられますことが、お願いして帰った晩に帰ってきた、それもどんこんされん不思議なことで帰って来た。
それは本人が参ってきとりましたが、実は会社の金を沢山使いこんでもうこげな時が夫婦心中する時ぢやろうと言うような事だったです、だからこれから会社の金を使い込んだと言う事に就いてのこんどはおかげを頂かにゃならないので、昨日は参って来た。だからそう言う奇跡的なおかげを頂いたと言うだけでは、今日の御理解なんかと言うのはわからんのです、まあそう言うところから入ってくるのですけれどもね。
昨日あそこは大野二日市のところに何とか市が出来とるですね、大野城市ですか親子で参って来たつもそうでしたが、もう大阪の方から船で別府の方へ渡ってこんならん、もうそれを動かしたら絶対いけないと言う、病人さんを別府まで連れて、ところが合楽の金光様にお届けさして頂いたら、よいといはしゃったげなから、医者の大反対を押し切って別府に連れて来た。
それが今度はその事から願わして頂いて、昨日一昨日やらせて頂いたらもう大変、病気も大変難しい病気でしたけれども、おかげ頂くのと同時にその話しを聞いて自分も早う、お礼参拝の出来るような、おかげを頂きたいと言うて親子連れで参って来た、と言うようなね、もう本当に神様のおかげと思わにゃおられん、と言ったような奇跡の連続と言ったような、お礼参りの中に、日田の伊藤さん達が親子で参って来た。
これは何時かお話しました、信心はないのです。お父さんと言うのは二十年から熱心な信心をさせて貰うて、泊まり込みでも御用さして貰おうと言うような、打ち込んだ信心であった、それが一遍合楽にご縁を頂いてそれから二三回おかげを頂いている内に、言わば向こうの親先生と言う方に、決して二十年のおかげを頂いとると言う事を忘れておる訳ではありません、私は合楽に参りまして自分が今まで求め続けておるような、信心を聞かせて貰うし、言わば合楽の御理解の虜になりましたと、言ういつかお話した事がありましたね、なりましたと、もうどうにも出来ませんですから暫く御無礼をすると言うて、合楽に熱心に参って来ると言うおばあさんです、するとおかげ頂くです。
信心のなかった、今東京に行っている息子が信心がなかったのが、この夏休みに合楽の話しを頂いたら、僕もおかげを頂こうとおかげを頂いて、帰りに船の釣りに行って金光大神、御神米と言うところでおかげを頂かなかったけど合楽の親先生と言うた途端におかげを頂いたと言うあの息子さんです、また本当に大きな自動車事故を起こす寸前に、祈らして貰うた生神金光大神と言うて、信心体験を頂いて東京へ帰った。それからこれもこの頃から論文を提出しなければならないのに、どうしても出来ないそして手紙が来たのを、こんど失敗するような事があったら、生きては帰られんと言う事を言うて来た、サア心配した親達がそれからお願いに参りましたら、神様から花咲か爺のお話を頂きました、だから枯れ木に花の咲くようなおかげをこんど、その論文なら論文のおかげを頂く事は枯れ木に花の咲くような事だと、だからそう言うところが、臼をわられても犬を殺されても文句を言うちゃならん、その信心を頂いておかげを頂けと言う事であった。
おじいさんと言うのが頑固で気短かで、孫でも叩きなさる位なおじいさんらしいです、そこでお参りしたのが言わば息子が本当にに可愛いなら、今日は合楽でこう言う御理解頂いて来たから、言わば腹を立てたりもやもやすることを、ひとつお供えしようと思うです、言うたらおじいさん話したら、返事もさっされじゃったけれどもそれ以来と言うものはもうどうして、こげん黙っておられるじゃろうかと言う事、焦焦しない気短が治ったのじゃなかろうかと思うぐらい、そしたら東京からわざわざ東京からお礼に帰って来とるです。おかげで論文が通ったと言うのです。
もうこれはもう本当に枯れ木に花だと言うのです、しかもその御理解を頂いて、此処で話しますのにね体半身にこれはもう治らないと言う病気があった話しです、ところがこちらに帰って来る時に診察するために行ったげなら、それが治っとったげなそれから医者が、これは枯れ木に花と言うたげな、それが聞いた事と帰ってから聞かせて頂くが、同じ事だからビックリしたと言う話しです、そう言うお届けしました。
そしてもういっちょ有難い事はどこか大きな会社でアルバイトか何か、勤めとるかなにかしとるのでしょう、私耳が遠いからスッキリ聞こえんですけど、こんど秘書の方がお供して社長さんが南方の何かの視察に、お出られるごとなっとったのが、秘書ができなくなったから伊藤君がどうでも行ってくれないかと、言う事になったのです。
これは自分か念願じやったとこらしいですね、それもそんなおかげを頂いたと言う事です それから帰ったら見合いをさせられたと言う事です。
そして本人が昨日言う事には、もう僕は本人の両親に惚れたとこう言うのです、本人はあんまり僕の好みじゃないけれども、両親に惚れたと言う事はもう実りと言うから、もう気に入ったしるしですよね、だからおかげと言うものはね、だから言わば本当に踏み拡げて通ると言う事は、私は本当それを思いましたが、教えを守って行じてです、頂くおかげと言うものは丁度波紋のように拡がって行くものだと言うことです。おかげは繋がっておると言う事です。
ずーっと只教えを守らず履み行わずにです、そしておかげを頂くと言うのはもう、言わばその都度都度と言う事になってくる、履み拡げるどころじゃない、いつも足履み状態です だからそう言うおかげではいけない、だから味をしめると言う事ではいけないけど、こう言う風にして教えを守りゃこう言うおかげを頂くと、また次ぎにも教えと取り組む事になるでしょう、それが履み拡げると言う事です。
私はそしてそれを思いましたですね、道を間違えちゃならんまた、他所の教会に参っちゃならん、と言う迷信を言うものが、例えばそれが本当に事実なら伊藤さん親子で井手さんとと言うのが娘さんですがね、達が受けておるおかげの事実を本当にそれが例えば、途を間違えたらおかげにならんとかね外に参ったらおかげを落とすと言う事が本当なら、そげなおかげを頂く筈はないですよね。
教えを頂いて教えが身につく、本当に合楽の御理解の虜にならせて頂いた、そしてその教えの有難い事を守って行く、信心のためだ、お父さんもその時は返事もなかった、けれどもやはり息子可愛さ、どうでもここは枯れ木に花の咲く、ここはおかげを頂かねばひよっとして自分があちらで、不心得な事をすればどうするかと思われた事でした、それからそんなに気短かなお父さんがそれっきり、だから昨日だからお礼、親父のね心の上におかげを頂いた。お繰り合わせ頂いたおかげにちやんとお礼のお届けがしてある。
そして自分の息子の事は今言うように論文が通って体がおかげを頂いとる、またおかげで結婚も、のことも順調に進むだろうまたはこんど海外に視察について行かれると、言うようなもういくつものお届けであった。
それがどこからかと言うとですね、本当に教えを履み行われたからです、身についたからです、ですから教えを頂いてそれを行いじぶんのものとして守らせて頂いて、履み行って拡がって行く信心はそのように、波状形に拡がって行く。一生懸命にお参りをするおかげを頂く、そう言うおかげはそう言うおかげは履み拡げる事にならんのです、只それが何十年続いてそれこそ細くても永く続かにゃならんとが、細々と続くだけです。
やはり人間が変わらにゃ、家中の者が変わらにゃ、そしてそこには言わば教えを履み行う事も、悲しみとか喜びと言うものが、伴って行くのですから愈々履み拡げてと言う事です とても道を草で生やすような事はできません、同時に教えが身について行くと言うことに、一番はじめにある驕りがましい事はできません、ここんところは中途半端だから道に例えば久富繁雄さんの事を例にとりました、道に時々草を生やすような事になったり、そう言う程度で腰掛けておるようなおがげではね、必ず一寸よかおかげをいただくと、必ず驕りがましい心が出来ます、教えを履み行うこと波状形のおかげになって来る事、そう言うおかげの中には草を生やす事もない程しの、又は驕りがましい事はない程との信心が身について来ること、只どうぞどうぞと言う程しのおかげでは、今日八十四節の中に示されたようなおかげには繋がらないのです、履み拡げて行く事ができません。
今日その履み拡げて行く事をその教えを履み行うと言う風に聞いて頂きました。
教えを履み拡げて行く、一つの教えが身についたら次に二つ目の教えが身についてくると言う風に、履み拡げて行くと言う、そこから愈々末広のおかげが約束される訳ですよね。どうぞ。